ある射出成形メーカーの現場で、勤続28年のベテランTさんが金型を眺めながらぼそっと言いました。「保圧の切り替えはね、音で分かるんだよ」。
隣にいた入社3年目の若手が「え、音ですか?」と聞き返すと、返ってきたのは「うーん、なんて言えばいいかなあ……」という困った笑いでした。
この「なんて言えばいいかなあ」を、生成AIでどうにかする話です。成形メーカーの経営者・製造責任者・技術継承の担当の方に向けて、うまくいったこともやらかしたことも書きます。
Q01ベテランの「勘」や暗黙知は、生成AIでナレッジ化できますか?
できます。ベテランとの雑談を録音してテキスト化し、生成AIに読ませると、発言が構造化されたナレッジカードに変換されます。1時間の雑談から10〜20枚のカードが生成でき、ベテランの負担は「書く」ことではなく「確認する」ことだけになります。
これまで暗黙知が残せなかったのは、言語化できないからではなく、言語化のコストが高すぎた からです。生成AIが変えたのは、このコスト構造そのものです。
冒頭の「音で分かる」も、今はナレッジカードとして残っています。「金型No.A-217、充填完了時の成形機動作音が低音に変化するタイミングで保圧に切り替える。射出速度が適正であれば、切替音は『トン』から『コン』に変わる」──Tさんが確認して「まあ、だいたいそういうことだね」と笑ってくれました。
Q02Excelの成形条件表があるのに、なぜ若手はベテランに聞きに行くのですか?
条件表には数字だけが並び、「なぜその値なのか」が書かれていないからです。「射出速度40mm/s」とあっても、ゲートが小さいから落としているのか、ウェルドライン対策なのかは数字から読めません。結果、若手が数字の意味をベテランに聞きに行くループが毎日繰り返されます。
射出成形のパラメータは温度・圧力・速度・冷却時間など数百項目。同じ樹脂・同じ金型でも気温や湿度が変われば最適値がずれ、夏と冬で条件が変わるのは日常茶飯事です。
ものづくり白書によれば、技能継承に「問題がある」と回答した企業は86.5%。教える人も教わる人も減っていく中で、「ベテランが手を止めて教える」ループは年々重くなっています。

Q03マニュアル化プロジェクトは、なぜ挫折するのですか?
人間が人間の力だけで暗黙知を「使える形」にするには、言語化のコストが高すぎるからです。私自身、「書いてもらう」「インタビューして書き起こす」「動画で撮る」の3パターンで3回失敗しました。
- ベテランに「ノウハウを書いてください」と依頼 → 現場が忙しく、3カ月後にファイルを開いたら白紙だった
- 若手がインタビューして書き起こし → 「あの金型あるじゃん」の「あの」が特定できず、文脈の抜けた使えない文書の山になった
- 作業を動画で丸ごと録画 → 2時間の動画が30本たまり、どこに何の情報があるか分からず誰も見返さなかった
3回とも、失敗の本質は同じでした。ベテランの頭の中にある知識を、人間だけの力で使える形にするのは、あまりに大変な作業だったのです。
Q04「話すだけでナレッジになる」とは、どういう仕組みですか?
雑談を録音し、音声認識でテキスト化し、生成AIに「意味の構造化」をさせる流れです。ベテランが30秒でぽろっと話した一言が、対象・パラメータ・理由・補足条件を持つナレッジカードに変換されます。
例えば「この金型はゲートが小さいから保圧高めにしてる」という一言は、次のカードになりました。
- 対象:金型No.A-217
- パラメータ:保圧──標準より+15%
- 理由:ゲート断面積が小さく、標準保圧では充填末端にヒケが発生しやすい
- 補足条件:PA66-GF30使用時に顕著。POM使用時は標準保圧で問題なし
さらに「5年目の技術者が知らなそうな情報はどれ?」と生成AIに聞くと、暗黙知に優先順位まで付けてくれます。精度は100%ではないので、ベテランに「これ合ってます?」と確認する工程は必ず入れます。それでも「ゼロから書く」と「確認して直す」では、負担がまるで違います。

Q05ナレッジカードが溜まったあとは、どう活用しますか?
50枚、100枚と溜まったら、自然言語で検索できるナレッジベースにまとめます。「この樹脂、ヒケ出やすいですか?」と口語で聞くだけで、キーワードが一致しなくても意味のつながりで答えが返ってきます。
Excel検索では「PA66 ヒケ」と打っても、その単語がセルに入っていなければ何もヒットしません。意味検索なら、ベテランが話していた保圧の注意点やゲートの設計知識が、意味のつながりで返ってきます。
若手の行動は「分からないからベテランに聞く」から「まずナレッジベースに聞いて、それでも分からなければベテランへ」に変わり、ベテランが手を止める回数が目に見えて減ります。
しかもナレッジベースは、使うたびに充実していきます。新しい金型の事例やトラブル対応の記録が蓄積され、市販のマニュアルには絶対に載っていない、その会社だけの財産になります。

Q06成形機10台・社員30人の規模でも始められますか?
始められます。ベテラン1人の雑談をスマホで1時間録音する、生成AIでナレッジカードに構造化してベテランに確認してもらう、50枚溜まったら検索できるナレッジベースにまとめる──の3ステップです。既存のExcel条件表は捨てずに、その上に検索レイヤーを足すイメージです。
- ベテラン1人の雑談を1時間録音する。スマホのボイスレコーダーで十分。「マニュアルを作るぞ」と構えず、成形機の前で「この金型、気をつけるポイントありますか?」と聞くだけ
- 音声をテキスト化し、生成AIでナレッジカードに構造化する。ベテランには確認と修正だけ頼む
- 50枚溜まったら、自然言語で検索できるナレッジベースにまとめる。Excel条件表はそのまま残し、チャットで聞ける検索レイヤーを追加する
大事なのは完璧を目指さないことです。知識の100%を網羅しようとすると、また挫折します。20%でも構造化されたナレッジがあれば、0%とは圧倒的に違います。
よくある質問(FAQ)
- Q. 録音は、改まったインタビューの場を設けるべきですか?
- A. 雑談のほうが向いています。改まった場を作ると構えてしまい、本音のコツが出にくくなります。現場の機械の前で気になるポイントを聞くだけで十分です。
- Q. 音声認識の文字起こしだけでは、なぜ使えるナレッジにならないのですか?
- A. 会話は文脈が飛ぶからです。「あの金型あるじゃん」の「あの」が何号機のどの金型か、文字だけでは分かりません。生成AIによる意味の構造化(対象・理由・条件の整理)まで行って、初めて後輩が読めるナレッジになります。
- Q. AIが生成したナレッジカードは、そのまま信用していいですか?
- A. そのままは危険です。精度は100%ではないため、ベテランに確認してもらう工程を必ず入れます。ただし「ゼロから書く」のではなく「確認して直す」だけなので、負担は最小限です。
- Q. 既存のExcel条件表は作り直しが必要ですか?
- A. 不要です。条件表はそのまま残し、その上に自然言語で聞ける検索レイヤーを追加する構成で始められます。
AUTHOR

黛 政隆(まゆずみ まさたか)
株式会社GembaShift 代表取締役CEO
エンジニア歴20年、PM経験50件超。生成AIの導入を、現場に入って一緒に組む仕事をしています。 この記事の内容は、著者自身が実際に手を動かして業務で検証した実体験に基づいています。